2017年06月
2017年06月28日
25日の本地震が、メッセージであれば、私は、しらじらしいフラッグを、あげれません、
メールマガジンは、そのあと、A社申請、受かりました。
(アドレス1、
(アドレス2、
6月19日に、合格通知があり、この時点で、来月7月2日に、メールマガジン1号の創刊が、決まっています。
長野県震源で、25日7時2分に、大きな地震が、あり、この日の余震の回数も、多かった、です。
被災に、遭われた皆様、こころから、お見舞いの詞、申し上げます。
6月25日は、日曜日で、私は、15時台の余震の速報で、7時台の本震の情報を、気象庁HPの方から、さかのぼり、知りました。
こうして、ペーヤの詞を、描いていますが、メディアは、土曜日曜は、報道ニュース枠、すくない、です。
2017年6月28日 カミジョウ智樹
(アドレス1、
(アドレス2、
6月19日に、合格通知があり、この時点で、来月7月2日に、メールマガジン1号の創刊が、決まっています。
長野県震源で、25日7時2分に、大きな地震が、あり、この日の余震の回数も、多かった、です。
被災に、遭われた皆様、こころから、お見舞いの詞、申し上げます。
6月25日は、日曜日で、私は、15時台の余震の速報で、7時台の本震の情報を、気象庁HPの方から、さかのぼり、知りました。
こうして、ペーヤの詞を、描いていますが、メディアは、土曜日曜は、報道ニュース枠、すくない、です。
2017年6月28日 カミジョウ智樹
kamizyo_manga at 15:03|この記事のURL│
2017年06月13日
メールマガジンA社に、メールマガジン申請の、申し込みおこなっています、(以下、サンプル号、本文ソング、)
この度、有料メールマガジンを、配信することに、決めました。
私自身の経歴は、1975年5月30日生まれ。
18歳秋に、高校中退し、製図会社に、入社します。
24歳で、製図会社を、独立します。仕事のツテが、このとき、あったわけでは、ありません。
製図会社を、独立後、4ヶ月間ほど、仕事がなく、独立後、営業していた事務所先から、製図の依頼が、あります。
ここで、収入が、発生します。
私自身は、マンガ家を、目指しています。24歳に、初めて、東京都の出版社に、持ち込みおこない、当時描きためていた200ページほどの作品を、見てもらうのですが、反響は、ありませんでした。
この作品のうち、1作品を、地方のコンクールに、応募し、入選と云う、(これは、記念賞なのですが、)授賞式にも、参加し、私は、マンガの夢を、継続することに、します。
製図会社の独立も、起動に乗り始め、マンガも、1人の出版社の子に、繰り返し持ち込みします。
24歳9月の持ち込みのとき、最後に、訪問した出版社は、女の子、でした。私より若く、とても、可愛かった、です。私の中では、女の子が、可愛かったことで、都会のスケールの大きさ感じましたし、このとき、持ち込みの評価の詞より、女の子に、懸命に、アプローチしました。出版社の子は、「22歳、」と、年齢まで、訊くこと、できました。
出版社の子は、私の初対面の作品を、初期の(出版社の子が、好きな作家名を、挙げ、)私を、一言だけ、褒めたんです。
上記記載の、私24歳に、(出版社の子が、そのとき、好きと云った、)その作家の方が、審査員長する地方のマンガコンクールに、応募したんです。
私は、その後、出版社の子から、叩かれながらも、持ち込みしますが、
26歳前の持ち込みが、悲惨な結果、でした。
出版社の子に、私の態度は、しつこいのではないか、と、想うほど、でした。
ここで、前進するか、あきらめて、他社に、移るか、考え、
絵を、練習し、作品に、磨きを、掛け、出版社の子を、あきらめない選択をし、
マンガのコンクールは、2種類、あります。月例コンクールと、半年に1度の大きなコンクール、です。大きなコンクールは、3月9月、です。
26歳9月に、私は、時代劇の作品を、描き、このコンクールで、2次審査まで、進みました。
雑誌に、名前は、載ります。
追記。
(ここまでが、メールマガジン申請に、必要なサンプル号記載の、私自身の詞、です、)
2017年6月13日 カミジョウ智樹
私自身の経歴は、1975年5月30日生まれ。
18歳秋に、高校中退し、製図会社に、入社します。
24歳で、製図会社を、独立します。仕事のツテが、このとき、あったわけでは、ありません。
製図会社を、独立後、4ヶ月間ほど、仕事がなく、独立後、営業していた事務所先から、製図の依頼が、あります。
ここで、収入が、発生します。
私自身は、マンガ家を、目指しています。24歳に、初めて、東京都の出版社に、持ち込みおこない、当時描きためていた200ページほどの作品を、見てもらうのですが、反響は、ありませんでした。
この作品のうち、1作品を、地方のコンクールに、応募し、入選と云う、(これは、記念賞なのですが、)授賞式にも、参加し、私は、マンガの夢を、継続することに、します。
製図会社の独立も、起動に乗り始め、マンガも、1人の出版社の子に、繰り返し持ち込みします。
24歳9月の持ち込みのとき、最後に、訪問した出版社は、女の子、でした。私より若く、とても、可愛かった、です。私の中では、女の子が、可愛かったことで、都会のスケールの大きさ感じましたし、このとき、持ち込みの評価の詞より、女の子に、懸命に、アプローチしました。出版社の子は、「22歳、」と、年齢まで、訊くこと、できました。
出版社の子は、私の初対面の作品を、初期の(出版社の子が、好きな作家名を、挙げ、)私を、一言だけ、褒めたんです。
上記記載の、私24歳に、(出版社の子が、そのとき、好きと云った、)その作家の方が、審査員長する地方のマンガコンクールに、応募したんです。
私は、その後、出版社の子から、叩かれながらも、持ち込みしますが、
26歳前の持ち込みが、悲惨な結果、でした。
出版社の子に、私の態度は、しつこいのではないか、と、想うほど、でした。
ここで、前進するか、あきらめて、他社に、移るか、考え、
絵を、練習し、作品に、磨きを、掛け、出版社の子を、あきらめない選択をし、
マンガのコンクールは、2種類、あります。月例コンクールと、半年に1度の大きなコンクール、です。大きなコンクールは、3月9月、です。
26歳9月に、私は、時代劇の作品を、描き、このコンクールで、2次審査まで、進みました。
雑誌に、名前は、載ります。
追記。
(ここまでが、メールマガジン申請に、必要なサンプル号記載の、私自身の詞、です、)
2017年6月13日 カミジョウ智樹
kamizyo_manga at 13:53|この記事のURL│